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演奏家vs作曲家 17世紀の音楽
Music in 17th century

歌劇

15世紀頃に先ず、ミュージカルの元祖が誕生しました。イタリアのフィレンツェを中心に、マドリガルやモテットが劇に導入されました。ここに和声の発見が加わり、17世紀の初めには遂に歌劇(オペラ)が勃興しました。歌劇では、従来の只の音楽を用いた劇ではなく、音楽と劇が有機的に融合したものです。
16世紀の終わり頃、フィレンツェの貴族バルディ伯爵は、新音楽探求に熱心な音楽家をサロンに集めました。古代の単純さを基本とした力強い音楽でもって、詩との融合を図ったのです。これをフィレンツェ楽派と呼びます。代表的音楽家だったヴィンツェンツォ・ガリレイ(Vincenzo Galilei)は、「古代音楽と近代音楽の対話」を著しました。 一方ローマでは、カヴァエリ(Cavalieri)が叙唱的な旋律を試み始めました。これがカッチーニやペリを経て、モンテヴェルデは「話す様な歌」を完成させました。彼の歌劇では、音楽は詩を超えて人間の心を表現するものであり、旋律や和声は斬新でした。当初理解されなかった彼の歌劇は、暫くしてヴェネチアを皮切りに欧州全土に流行しました。皮肉な事に流行が過ぎ、イタリア貴族は出来の悪い歌劇をも氾濫させてしまい、歌劇はこの後衰退する事になりました。 他に、各地で幾つかの楽派があり、小さくも音楽史上重要な創作をしました。ヴェネチア楽派は、簡易歌劇である交声曲(カンタータ)を創案しました。一番遅れて栄えたナポリ楽派は、スカルラッティにより器楽曲の発展を与えました。フランスではリュリーが歌劇を発展させ、ラモーにつなぎました。

教会音楽

聖譚劇(オラトリオ) 教会旋法では、半音により主音に進む導音の設定により、現在の7音階の原型ができました。そして、長調と短調の旋法が確立されました。
平行5度と平行8度が禁止されました。この対位法規則は、ドビュッシーまで守られる事になりました。一方で、厳格な対位法が徐々に開放され、和声的な音楽が生まれました。 声部が拡大する上で必要と言う事で、小節の概念が確立しました。当時の合唱曲は3声〜5声でしたが、対位法的ではなく輪唱形式にむしろ近かった様です。マショー(仏/Guillaume de Machault:1300-1377)はそれを4声〜6声に拡大し、欧州中がそれに倣いました。
16世紀には、宗教音楽はミサ、モテット、通俗音楽等に形式が分化していきました。それぞれが新しい旋律や詩で創作されましたが、特に後者2種が顕著でした。パレストリ−ナ(伊/Pierluigi da Palestrina:1526-1594)は、時の宗教音楽で最も優れた作品を残しました。
当時のドイツは、音楽文化に遅れていました。その中で、ルーテルは衆賛歌(コラール=大規模な賛美歌)を唱導しました。

器楽合奏の始まり

楽器が伴奏だけでなく独奏や合奏に用いられ始めたのも、16世紀でした。当時の楽器と言えばリュートオルガンでしたが、徐々に他の楽器も生まれてきました。
元々旅芸人の伴奏楽器だったヴィエルが基となり、16世紀中頃ヴァイオリンが作られました。但し、前者が上流階級用、後者が下層階級用だった様です。ガブリエリにより、当時独特の器楽合奏形態が確立されました。

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