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ここは、「扉頁演奏家vs作曲家」章の「モーツァルト」節です。


演奏家vs作曲家 モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
誕生地オーストリア/ザルツブルク
愛称神童
家族構成レオポルド、母、5歳年上の姉マリア・アンナ
コンスタンツェ・ウェーバー、子供6人(但し成人したのは2人)

 クラシック音楽が宮廷音楽として発祥栄華した末期を代表する作曲家で、幼少から楽才を表わし神童と呼ばれました。ハイドンからベートーヴェンへの奏鳴曲形式等の理論的・理念的な橋渡しだけに留まらず、音楽の楽しさを知らしめてくれました。
 作曲は、いろいろな形式や編成の楽曲に及びます。特に執着したのは、歌劇です。当時のピアノはまだチェンバロ的な物が主流で、ピアノ独奏曲は音量もインパクトも大きくなかった様です。それゆえか、ピアノ奏鳴曲よりピアノ協奏曲を多く作曲しました。ベートーヴェンの芸術性が構成に顕著に現われるのと対照的に、モーツァルトの芸術性は旋律に現われます。

私がモーツァルトです。音楽で人生を楽しみましょう、ワーハハハ!

日本でのモーツァルトイヤー
 平成18年はモーツァルト生誕250周年記念で、モーツァルトの音楽が沢山演奏されました。年を越しても暫く余韻は冷めず、テレビ、ラジオ、そして巷ではモーツァルトの曲が暫く演奏され続けました‥‥私も、1月17日(モーツァルトの誕生日です‥‥私の誕生日は9月27日‥‥関係ないか)にオールモーツァルトの演奏会を愛知県高浜市で実施しました。
 モーツァルトは1756年1月27日に生まれ(私も9月27日生まれ‥‥失礼しました)、1791年12月5日に35歳で没してます。ザルツブルクにはピアニストの若林顕さんがモーツァルトテームに留学していた頃遊びに行った事があり、モーツァルトの生家も案内して貰いました。平成18年は生誕250周年記念でしたが、同時に没後215周年記念でもありました。つまり、平成23年には没後220周年記念‥‥ちょっと半端ですから平成53年の没後250周年記念まで待ちますか‥‥にも、同様のモーツァルトイヤーが来るのでしょう。私も、その時までバリバリ頑張ら なくっちゃ!
 それにしても、こんなに商業的に活用されるクラシック音楽家も珍しいと思いますが、実はこの現象は日本だけと言っても過言では無いかも知れません。ドイツでは、少なくともその様な賑わいはありませんでした。観光客向けにチョコレート等のお土産品が量産されましたが。

モーツァルトと言う作曲家
 モーツァルトは、ある意味、他のクラシック作曲家と異なります。それはとりもなおさず、音楽を人々の楽しみとして(商売的な)発想をしていたからです。また、その結果、モールァルトの音楽は音楽療法にも適合し易いのです。音楽療法と言えばモーツァルト、と言う図式も日本では常識的ですが、これは全く否定しきれるものではありません。
 ハイドン奏鳴曲を形式として確立し、ベートーヴェンがそれを充実させ、音楽的にも人間性を与え精神的なものを与えました。最初は宗教上の補助的手段としての色合いが濃かったバロック音楽が、徐々に音楽と言う独立した芸術 に成長していったのです。
 モーツァルトは、ハイドンとベートーヴェンをつなぎいだ音楽家です。しかし、そんな歴史的な意味合いの他に、加えてむしろ楽しさを与えた、別の経路の音楽家であるとも言えます。
 モーツァルトの音楽は、軽快(軽率)です。痛快(破廉恥)です。なぜならば、モーツァルトは音楽で人を楽しませようとしていたのです。だから聞き手は楽しんだのでした。バッハやハイドンの様な説教じみた重さも、ベートーヴェンの様な圧熱苦しさも、前面には見せず(あった事はあったのですが)、人生こんな楽しいものなんだ、と言い続けたのです。
 これは、努力により作り上げた偽りの主張ではりません。モーツァルトってそんな性格の人だったのでしょう。自然に、おどけをクラシック音楽にいれてしまいました。この性格ゆえ、モーツァルトの曲は演奏が難しいのかも知れません。真面目なだけじゃ演奏できません。

音楽療法とモーツァルトの音楽
 楽しい曲、自然にあふれてきた音楽。だから、療法的な曲も多いのでしょう。気が優れない時には、難しい講演会や講義よりは、漫才やお笑いの様に(あ)かるいものの方が良いのです。モーツァルトの音楽は、やっぱり音楽療法には相応しいのです。
 勿論、そんなモーツァルトも悩んでました。晩年の作品は、どうも短調の方が名作です。「モツレク」と略称される、レクイエム=鎮魂歌。この曲を歌った合唱団員の方曰く、「歌い終わると、自分がまるで死んでしまいます。」うん、解ります。この曲は、少なくとも音楽療法には用いない方が良いでしょう。

モーツァルトとピアノとピアノ曲
 ピアノ奏鳴曲は古典的な形式を踏襲して作曲されており、3楽章編成です。ベートーヴェンはいきなり第一番奏鳴曲で4楽章編成としたのとは異なり、明らかに小品イメージで作られています。当時のピアノも、パワーの無い物でした。モーツァルトのピアノ曲を弾く時の難しさは実はここにあり、現在のピアノの音色より軽い音色を出さなければ適合しないのです。
 モーツァルトは、ピアノ奏鳴曲(ソナタ)を18曲創作しています。また一方で、ピアノ協奏曲は27曲創作しています。一般的には、大編成のピアノ協奏曲の方が、独奏奏鳴曲より多く作られるなんて事は稀です。
 私の想像では、こんな理由があったのではないでしょうか?
 モーツアルトは、幼少の頃はクラヴィコード、5歳でデビューした時にはチェンバロを弾いていました。ピアノと出会ったのはマンハイムで、ピアノ奏鳴曲7番を創作する前でした。丁度ピアニズム(ピアノと言う楽器の特性を活かした曲造り)を明確に表現し始めた第6番の時期と重なり、モーツァルトには衝撃だった様です。
 第14番以降のウィーン期では、初めモーツァルトはツウーン伯爵夫人にJ.A.シュタイン製のピアノを借りていましたが、アクションが旧式で余り好きになれませんでした。そこでモーツァルトはなけなしの金を叩き、A.ワルター製の1781年式中古ピアノ(ペダルがありませんでした)を買いました。ワルター製ピアノはシュタイン製ピアノより、エスケープメントの軸受けが斜めになっている為に、幾分音が暗く、陰影に富んだ音がします。この楽器の特性が、後のモーツァルトの音楽に影響を与えなかったとは思えません。
 当時のピアノはまだチェンバロとより近く、音量も音域も今のピアノ程ではありませんでした。即ち、ピアノ独奏の迫力は場所によっては‥‥外や広間では不充分だった為、管弦楽の伴奏で迫力を補強したピアノ協奏曲の方が聴き応えがあったと、私は想像しています。今でこそ、協奏曲と言うと管弦楽と独奏楽器の一騎打ち、と言う大規模編成のイメージがありますが、当時の管弦楽は編成も小規模で一騎打ちと言うよりは正に伴奏のイメージに近かったのではないでしょうか。

18のピアノ奏鳴曲
 この18曲の奏鳴曲は、版によって序列や数が異なります。第17番の後にヘ長調Kv.547a を含める事もありますが、これは同じ作品番号のヴァイオリン奏鳴曲の独奏編曲版です。第8番と第9番は実は作曲順序が逆なのですが、最初のKv番号の順番に並べる事が通例となっています。
 第1〜5番は1774年、第6番が1775年の作品です。その後モーツァルトはパリに演奏旅行に行き、途中第7、8番を1777年マンハイムで、第9〜13番は1778年にパリで作曲しました。ここで少々間が空き、第14〜18番は1883年以降にウィーンで作曲しました。
 ベートーヴェンの32のピアノ奏鳴曲の様に、時期による曲風の差が明確ではありません。1番の次に18番を聞いても、同じ作曲家の曲として大きな違和感はありません。しかし、曲の奥に込められた人間性は年齢と共に確かに成長していますし、技法も終期には洗練されてきています。第18番奏鳴曲は、その意味非常に難しい曲です。
第1番ハ長調Kv.279(189d)
第2番へ長調Kv.280(189e)
第3番変ロ長調Kv.281(189f)
第4番変ホ長調Kv.282(189g)
第5番ト長調Kv.283(189h)
第6番ニ長調Kv.284(205b)
第7番ハ長調Kv.309(284b)
第8番ニ長調Kv.311(284c)
第9番イ短調Kv.310(300d)
第10番ハ長調Kv.330(330h)
第11番イ長調Kv.331(330i)
第12番ヘ長調Kv.332(300k)
第13番変ロ長調Kv.333(315c)
幻想曲
第14番
ハ短調
ハ短調
Kv.475
Kv.457
第15番ヘ長調第一・第二楽章Kv.533
第三楽章Kv.494
第16番ハ長調Kv.545
第17番変ロ長調Kv.570
第18番ニ長調Kv.576

27のピアノ協奏曲
 本文建築中。
第5番
協奏曲回旋曲
ニ長調
ニ長調
Kv.175
382
第6番変ロ長調Kv.238
第7番「ロンドン」<<3台用>>ヘ長調Kv.242
第8番「リュッツォウ」ハ長調Kv.246
第9番「ジュノム」変ホ長調Kv.271
第10番<<2台用>>変ホ長調Kv.365(316a)
第11番ヘ長調Kv.413(387a)
第12番
協奏曲回旋曲
イ長調
イ長調
Kv.414(385p)
Kv.386
第13番ハ長調Kv.415(387b)
第14番変ホ長調Kv.449
第15番変ロ長調Kv.450
第16番ニ長調Kv.451
第17番ト長調Kv.453
第18番変ロ長調Kv.456
第19番ヘ長調Kv.459
第20番ニ短調Kv.466
第21番ハ長調Kv.467
第22番変ホ長調Kv.482
第23番イ長調Kv.488
第24番ハ短調Kv.491
第25番ハ長調Kv.503
第26番「戴冠式」ニ長調Kv.537
第27番変ロ長調Kv.595

15の変奏曲
 本文建築中。
第1番調Kv.()
第2番調Kv.()
第3番調Kv.()
第4番調Kv.()
第5番調Kv.()
第6番「キラキラ星」ハ長調Kv.265(300e)
第7番調Kv.()
第8番調Kv.()
第9番調Kv.()
第10番調Kv.()
第11番調Kv.()
第12番調Kv.()
第13番調Kv.()
第14番調Kv.()
第15番「デュポール」調Kv.573

連弾と2台ピアノの為の曲
 本文建築中。
連弾曲
奏鳴曲ハ長調Kv.521
アンダンテと変奏ト長調Kv.501
第3番調Kv.()
第4番調Kv.()
第5番調Kv.()
第6番調Kv.()
第7番調Kv.()
第8番調Kv.()
第9番調Kv.()
2台ピアノ曲
奏鳴曲ニ長調Kv.448(375a)
第2番調Kv.()
第3番調Kv.()
第4番調Kv.()
第5番調Kv.()
第6番調Kv.()
第7番調Kv.()

その他のピアノ小品
 本文建築中。
幻想曲
第?番ニ短調Kv.397(385g)
回旋曲
第?奏ニ長調Kv.485
第?番イ短調Kv.511
その他
メヌエット第1番ト長調Kv.1
メヌエット第2番ヘ長調Kv.2
アダージオロ短調Kv.540

ピアノ曲以外の代表的な曲
 本文建築中。
交響曲
歌劇
合唱曲
ヴェスペレ調Kv.339

ケッヘル番号
 モーツァルトは、1784年以降に自作の作品目録を付け始めましたが、それ以前の曲については記録がありませんでした。そこで、ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル(独)と言う人が、調査の結果序列を付けました。これがケッヘル番号(独:Kochelverzeichnis)で、K.333、Kv.333、K333、あるいはKV333 等と記載されます。
 Kv.1はピアノメヌエット第1番、Kv.626はあの有名な鎮魂歌(レクイエム)です。1862年にケッヘルが出版した「モーツアルト全作品目録("Chronologisch-thematisches Verzeichnis samtlicher Tonwerke Wolfgang Amade Mozarts")」に、一覧されています。
 ケッヘル番号のお陰で、世界共通の序列ができました。しかし、後の研究で作品の完成時点が見直されたり、作品が新しく発見されたりしました。都度番号の振り直しが行われ、今は第8版に至っています。アルフレート・アインシュタインの第3版(1937年)と、フランツ・ギーグリンク(Franz Giegling)、ゲルト・ジーベルス(Gerd Sievers)、アレクザンダー・ワインマン(Alexander Weinmann)の第6版(1964年)で、大幅な訂正が行われました。改訂の殆どが、モーツァルトが記録し始めた1784年以前に新しい作品が見つかった為のものでした。
 但し、そうは言っても、初版のケッヘル番号は長年親しまれてましたし、第3版以降の番号の付け方が複雑で覚え難かったので、その後も初版の番号が一般に用いられてきました。ご質問のKv.333(315c)は、初版番号333で、第6版番号315c である事を意味してます。
 尚、二重番号表記制が採られたのは第3版以降で、当初は「Kv.315c=Kv.333」と新番号が先に表記されていました。新番号のアルファベットは、既に付されている2つの番号の間に新たな曲を序列させる時の補助文字で、即ちKv.315、315a、315b、315c‥‥Kv.316と続きます。交響曲第25番ト短調は、Kv.183(173dB)ですが、これはKv.173dと173eの間に更に新だな曲を序列させる時の補助文字で、即ちKv.173d、173dA、K.173dB‥‥173eと続きます。まるで、高速道路に新しくインターチェンジができた時の、番号の振り方と似てますね。(3 東名川崎IC、3-1 横浜青葉IC、4 横浜町田IC)
 ケッヘルによる初版では、完全に揃っていない断片作品や紛失作品に対して、Kv.Anh.56 の様に追加番号が当てられました。これを、第3版では補助文字を用いて序列を一つにしました。第6版では、偽作や疑わしい作品にはKv.Anh.C14.01 の様に追加番号を当てています。
 参考まで、ケッヘル番号を25で割り10を足すと、その作品を作曲したモーツァルトの年齢に近いんですって!

ここは、「扉頁演奏家vs作曲家」章の「モーツァルト」節です。