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音楽に思う事 音楽と気と人間
Music and Ki and Human

東洋医学における気
東洋医学の考え方では、人体には気が流れていると言う事です。気は人の総てを司っており、その流れが悪くなると病気になると言う考え方です。
勿論西洋医学ではその正体は解っておらず、その意味、西洋医学では気と言う概念は存在しません。私には気が本当にあるかどうかは分かりませんが、東洋医学は人間を魂として考え、西洋医学では物体として考えている、文化の違 いはあると思います。
気功術と東洋医術があります。自分の気を制御する気功士が、患者の気の流れを良くすると言うものです。離れた所の他人の体を調整できるなんて不思議ですが、電線を介してエネルギーを運ぶ電気も、磁石も、考えてみれば離れた所に力を発生させるものです。これは西洋物理学の扱う範囲にあります。物理学では、これを「場」と言うそうです。
共鳴現象と気
音や光も実は全く同じで、離れた場所からエネルギーを伝えるものです。音が耳に入り、空気の振動と言う物理現象が鼓膜の振動を経由して渦巻き管の中の体液振動を引き起こし、それが神経を経由して大脳に電気エネルギーとして伝達されます。その音で感動したり、恐怖を感じたりする訳です。
気功術により患者が治癒されたシーンを、TVで見た事があります。気功士が手を動かすに伴い患者の体が妙に動きますが、気功士は患者に触れていません。西洋科学で説明しようとすると、先程の場の議論になります。つまり、気功士が自分の気をある状態にする事で、離れた人の気を同じ状態にしてしまう、一種の共鳴現象と説明する訳です。治療中には、気功士と患者の脳波状態は、ほぼ一致しているとの事です。自分の気を励起する事が相手に伝わり、相手の気まで励起してしまうと言う事でしょう。
音楽の本質的な原理
先さて、これと似た現象は、実は日常茶飯事なのではないでしょうか。一生懸命な上司につい着いて行ってしまう部下、必死の身振りで訴えた片言英語を理解する外国人、恋愛に関してもそう、感動もそうでしょう。
良い演奏、良い曲とは、そこに気が通い合っていると思います。聴衆の気が共鳴しているのです。感動を伝える事は、感動している事と等しいと思います。誰が、信じていない事を、他人に信じてもらえる説明をできるでしょうか。誰が感動しもしない思いを、人に伝えて感動させられるでしょうか。
気のある人間生活
いや〜、人間って面白いですね(水野晴夫風に)。
気は西洋人に最も難解な単語の一つでしょう。日本語には気がつく単語が多いですよね。気になる、気が散る、気を付ける、気を配る‥‥病気もそうですね。私達の先祖は、気を実感していたのかも知れませんね。そこに、人間として生きる楽しさや喜びがある、私はそう思って、今日もピアノを演奏させて頂いております。

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