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ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第11頁です。



音楽に思う事 音楽の癒し効果を考える:沈静と覚醒
Discussion about the Curing Effect of Music : Calming and Awakening

プロローグ
日本では、常軌を逸した動機や形態の殺人事件が増加しつつあります。これには根深い原因がある様に思われますが、心の健全性をどう確保するかが各人の重要な日常課題である事は確かです。
そろそろ純粋に音楽の話をと思っておりましたが、今一度音楽と心の関係について述べたいと思います。番組「題名のない音楽会」で、疲れた心を音楽で癒せるか、作曲家と大学教授が断片的な議論をしていました。内容はともかく題材が良かったので、再考察した次第です。今回はやや端折った感じですが、別の機会があればより深い議論を続けたいと思います。

癒し音楽の歴史
10年程前(バブル崩壊時期)Adagio/カラヤンなる題名のCDが販売されて以来、「癒し」が日本で流行り始めました。今も売れる音楽CDの上位に癒し音楽が定着しているとの言、沈下し続ける日本経済同様に日本人の疲れも酷くなる一方なのでしょうか。
癒しに音楽を用いたのは、判っている範囲ではバッハが最初で、それはゴールドベルク伯爵の不眠症を治す為のもの(ゴールドベルク変奏曲:チェンバロ曲)でした。その後ベートーヴェンに至り、音楽が聴かせるものとして確立したそうです。
欧米では既に病気に対して、音楽を治療手法として積極的に用いる段階まで来ています。日本でその動きが出てきたのは、ここ7〜8年(1995年頃から)でしょうか。

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図:上が矩形波、したが正弦波.

覚醒と沈静
その番組曰く、冷静な人はどの音楽にも無反応である等、音楽への反応は個人差があるが、概して静かで落ち着いた音楽は沈静作用が、華々しく活発な音楽は覚醒(興奮)作用があるとの言。上記は当然の一般論で、普遍的な癒し音楽(音色)が存在するかどうかこそ興味ある処です。
覚醒と沈静は、本来人間が自律神経により自らをバランスさせている二つの相反作用なんだそうです。沈静の極限は生体活動の停止で、覚醒の極限は発狂です。それゆえ、人間への作用は覚醒か沈静かの観点により定量化でき、音楽もこの観点により定量化できる訳です。癒しとは病理学的には沈静化行為で、逆に欝病患者には覚醒治療が必要です。人間バランスこそが重要で、癒しが全般的に求められる今日の社会は即ち、既に覚醒側に片寄っていると言えます。

誰に癒し音楽が必要か
先ずは、心身の覚醒沈静バランスが変動し易い人は、覚醒社会において日々心も覚醒側に大きく片寄りがちな事でしょう。癒す事で逐次沈静側に戻す必要があります。ただそんな人は自覚症状も出易く、癒し効果も大きいかも知れません。
冷静な人はこのバランスが変動し難いが、逆にバランスの移動が徐々で、自覚した時点で手遅れとなる可能性もあります。即ち一見冷静な人も、実は癒される必要がある可能性があると思われます。

音楽もバランス良く聞くべきか?
音楽が直接心に作用し感動(感情)を再現させる事を考えると、その作用はその人の性格や趣向や経験に依存します。好き嫌いのある食物において栄養素を万遍無く摂取するが如く、好みの音楽を沈静覚醒バランス良くさせる事も重要かも知れません。
巷には、覚醒作用のある音や音楽も氾濫しています。人間は慣れますので、覚醒する音や音楽ばかり聞いていると、覚醒を自覚できなくなり、覚醒状態が当然と考える様にもなります。子供の頃から音や音楽を(無意識に)バランス良く聞いてきたかどうかは、人格形成に大きな影響を与えかねません。癒し音楽は、治療より予防において重要なのです。

普遍的な癒し音や音楽はあるか?
誰でも最初は赤ん坊です。赤ん坊は、本当に自分では何もできない、生きるのに必死な生物です。遊ぶ時は父親、甘える時は母親と、本能的に親を使い分けている様です。夜泣きをしている赤ん坊は、泣きたくて泣いているのではないはずです。泣くのは疲れますからね。お腹が空いた、苦しい、痒い、暑い、眠い、痛い、だから助けてと言う訳です。そんな時、母親の無条件な優しさこそが赤ん坊を癒します。この「苦痛に泣く=覚醒⇔癒し=沈静」の関係は、恐らく普遍的なものではないでしょうか。
その時赤ん坊は、きっと聞いてます。母の声、母の心音。子守歌は誰でも懐かしい感じがするでしょう。母と共に過ごした時に聞いた音楽や音は無条件に心を癒します。これは、マザコンとは違います。
余談ですが、父親が厳しく怖いからこそ、母親の愛情が効果的なのかも知れません。新聞曰く、今の中学生は父親を怖くないと感じているとの言。この上母親から愛情ばかり頂戴していると、さすがに我がままになりそうですね。かと言って、両親から虐待されるのも困ります。バランスが大切なのです。
なお、自然の懐に包まれるとやはり人間は安堵=沈静します。小川のせせらぎを聞きながら原っぱに寝そべる、鈴虫の声を聞きながら満月の空を見上げる。これらの音もまた、疲れた心を癒してくます。厳しい自然が父親ならば、優しい自然は母親なのかも知れません。

ハープとピアノの音色は心を癒すか?
では楽器の音はどうか? 旧約聖書では、ハープは病気を治す楽器であるとの言。成程、音楽次第ではありますが、聞けば心が洗われる気もします。
ハープは弦を指で弾いて音を出す楽器です。感覚的には、指で弾くと言う事で優しい音色が出そうです。付記するならば、ハープ奏者は昔からなぜか多くは女性、母の優しさならぬ女性的なイメージが、更に音色を柔和に感じさせるのでしょうか。
ハープと同じ原理の楽器に、ピアノ、ハープシコード、チェンバロ等があります。弦を弾くのは手ではありませんが、いずれ単純な波形の音色。ピアノの音色は単純であるが故に想像を妨げない事は、以前申し上げた通り。これらの楽器の音色は、本来の単純さも併せて、個性的でないがゆえに攻撃的でない沈静的な音色とも言えるかも知れません。

エピローグ
最後に、私ども音楽関係者が聞いて落ち着ける自薦音楽を列挙しましょう。ほんのご参考まで。
主人の推薦:バッハのオルガン曲は、大宇宙に包まれる感じがします、トッカータとフーガヘ長調。ベートーヴェンの緩情楽章(主として二楽章でゆっくりした曲)は全て素晴しく、第九の三楽章等。シューベルトのピアノ曲やピアノ五重奏曲「鱒」。
私の推薦:モーツァルトの鎮魂歌、ドビュッシー「小舟にて」、フォーレ「夢の後に」や「鎮魂歌」、ドヴォルザーク「母の教え給えし歌」等。
 二人とも全然違いますね。これが音楽です。ところで、小難しいクラシックの一流でない演奏は眠くなる事で、二人の意見が一致しました。睡眠は最高の疲労解消法なので、疲れたら身体を温めてリラックスできる温泉や、眠れる演奏会(できればピアノやハープの)へ是非どうぞ‥‥?


ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第11頁です。