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ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第9頁です。



音楽に思う事 音と心・無意識の大脳生理
Sound and Heart, Cerebrum Physiology under Involuntary

聴覚と視覚との特性の違い
聴覚と視覚とは、本質的に特性が異なると言えます。本章の第3節に論理的な視覚と本能的な聴覚とを比較しましたが、その他にも決定的な違いがあるのです。表題の「無意識」に関係大です。
目を閉じてみましょう。何も見えませんね。相当強烈な光が目に直射した場合には瞼を通過して光が目に入りますが、一般的には目を閉じれば視覚的刺激を完全に遮断できると考えて良いでしょう。
では耳を閉じてみましょう。え、耳たぶは瞼の様に動かないですって? そうですね、では手で閉じてみましょうか。でも何とも頼りないですね、手と耳との隙間があります。と言う訳で、耳マスクをしてみましょう。隙間は完全に塞ぎました。でも、何か音が聞こえます。どんなに完全に耳を塞いでも、音は聞こえるのです。音は前回お話しした様に波動エネルギーなので、媒介があれば伝播します。人間の体は、そう、何とも格好の媒体なのです。
視覚は完全に閉ざせるのに対して、聴覚は閉ざせません。寝ている時でさえ、私達は音を聞いているのです。見たくなければ目を反らせば良いものを、いくら耳を反らせても実は無意識の内に聞こえる全ての音を聞いてしまっているのです。

光と音の違い
大学では、光は波動性と粒子性を両方有すると教えられるそうです(私には訳が分かりませんが)。確かに光も音と良く似てまして、周波数の違いは色の違いとなって感知できます。音は波動であり、これは光の波動性を示す現象の一つだそうです。では、光も体を媒介にして目に到達するのではないか?
詳細な説明は省きますが、この点では光と音とは違います。光の伝播は音と異なり媒体は不要(粒子性に因るそうです)で、体の有無は感知するかどうかに関係ありません。また光は高周波の波動である為、本章第2節に述べた直進性により経路を避けば避けられますし、光が体を共振させたとしても振動が細か過ぎてそれを感知し難い訳です。光は目で感知し、音は体全体で感知していると言って良いと思います。
また、物理的な振動までも鼓膜の振動となり、それが音として感知されてしまうのです。医学博士(大阪大学⇒奈良大学)でもある漫画家手塚治虫さんは、世界で初めて漫画において、静けさを示す擬態語「シーン」を作りだしました。このシーンも実は耳の奥の生命活動に起因する振動音が、音として感知されるものなのです。これでは宇宙空間に飛び出しても、私達は生きている限り音から逃げられない事になります。

生きている証としての音
さあ、私達は常に音と共に生きている事が解りました。私達は音を作り出してもいます。心臓音、呼吸音、脈音、胃腸音、数えると沢山ありますね。それぞれ規則正しく繰り返される音です。これらの音こそが生きている証、即ち人間にとって自然で心地良い安心できる音なのではないでしょうか。
これらの音は、状況や体調で変化します。さあ競走だ、あっ好きな人が来た、しまった、怖い、そんな時には体は緊張し心拍は強く早まります。逆に眠い、無の境地だ、とても落ち着いている、そんな時体は弛緩し、心拍は安定します。苦しいと呼吸は粗く不規則になりますし、嬉しいとリズムが踊りだします。聞いた音が、自分がどの様な状態(体調、心情)の時に作り出す音と類似しているか、音の聞き心地はこれに尽きるのではないでしょうか。
体調が悪いと、脳はそれを矯正しようと頑張ります。大脳は、体調が悪い事を痛みや苦しみとして感じ、この状態から逃れようと抵抗するのです。この不快感は、通常ストレスと称されます。体調が悪い時の体内音は、結果的に大脳へのストレスと関係している事になります。音感は実は、大脳生理と密接な関連がある訳で、この関連性たるや光感とのそれとは比較にならない程大きいと考えております。

殺人ミュージック
その昔、「科学忍者隊ガッチャマン」と言うアニメ漫画(竜の子プロ作品)の中で、殺人ミュージックと言う内容の武器を登場させた事があります。これはその音楽を聞くと人は発狂死すると言うものでしたが、あながち空想世界の産物とも言い切れません。殺人ミュージックは、もしかしたら既に存在しているのではないでしょうか?
2000年11月12日のNHK総合19:30からの「クローズアップ現代」で、低周波騒音に関する放送がありました。低周波(=低音)は安定感を与えると従来考えられ、音楽ではベース音をひたすら担当してきました。しかし過剰に低周波で大エネルギーの音波は、そのリズムや音色によっては、大脳にストレスを与えるのです。例えば、機械のモーター音や電子音等の人工音は、健康を害する危険性がある訳です。音は全て無意識に聞いているので、これぞ殺人ミュージック、元を絶たねば健康は戻りません。

自然の中の自分を考える
第7節から3回、音と健康について考えてきました。音を科学的に三要素(振幅=大きさ、音程=周波数、振動波形=音色)に分け、科学的に最も不明確な音色も非常に重要な要素であります。
心地良い音とは何か、それは自然な音、自分の発する音です。それがどんな音か、科学的に解析する必要はありません。ただ自分に耳を傾ければ良いのです。我を忘れて我を失う。己を知る事が最も困難と言われますが、それは生きている証であり、有意義な人生を送る為に必要ではないでしょうか。そしてそれは、隣の人の気持ちを考える事でもあり、世界人類の幸せを考える事でもある様に思えます。


ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第9頁です。