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ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第7頁です。



音楽に思う事 ピアノ曲に想像を楽しむ
To Enjoy Your Imagination on Piano Music

最近、健康と音(聴覚)の関連性について考えさせられた経緯があります。今回から数回、音色についてお話しさせて頂きたいと思います。

ピアノの音色の特徴
主人の作る曲にはピアノ曲やピアノを用いた曲が多いですが、これは子供の頃ピアノを弾いていたからかもしれません。このピアノと言う楽器は、私も弾いていて思う時があるのですが、実に不思議な音色を持つ楽器です。
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ピアノの音色を音波計測しますと、極めて滑らかな波形(図1)である事が判ります。また鍵盤楽器ですので、鍵盤を叩いたその瞬間に最も強い音が出て、その後は鍵盤を離すまで音は徐々に弱まります(減衰と言います)。一旦鳴った音を途中で強くする事は、絶対にできません。弦楽器や管楽器が音を出せるまでに訓練を要するのに対し、ピアノは鍵盤を叩きさえすれば誰でもそれらしい音を出せます。ピアノの音色は単純で機械的であり、音そのものの表情も変化させられません。

ピアノ演奏の上手下手
では、素人の演奏と玄人の演奏は、どうして違うのでしょうか? ピアノの音を鳴らす時に変化させられるのは、鍵盤を下に移動する速さ、即ち音の初期強さだけです。だから人によって演奏が異なるのは、この「初期強さ履歴」の差としか考えられません。(鍵盤を抑え続けたり、あるいはペダルによって、フェルトが上がり弦の残響状態が変わったりと現実は複雑なのですが、ここでは単純の為にこう言わせて頂きます。)
ドレミ♪ と弾いてみましょう。ある人は、全く同じ強さで同じ間隔で弾くかもしれません。しかしこれでは余りに機械的で冷たい、まるで台本の棒読みです。では、強さも間隔も大きく変動させたらどうか? 今度はまとまりがなく聴き苦しいですね。上手に弾くと旋律が語りかけてきて、上手な朗読を聴いている様です。この適正なる「初期強さ履歴」を見つけられるかどうかが、玄人
keiko5-07b.JPg と素人の境目なのです。「初期強さ履歴」を議論する時には、一つ一つの音単独ではなく、時間的に隣接する音(旋律:図2)や、音程的に隣接する音(和音:図2)同士の相互関係の調整が重要になってきます。ドレミは三つの別々の音ではなく、一つのまとまった音として認識されるのです。まとめ方次第で様々な表情が付くと言う訳です。ここにピアノ演奏者の感性が反映され、聴衆の感覚に訴える感動が包含されるのです。これはあらゆる楽器に

共通の演奏技術ですが、殊に音そのものに表情を付けられないピアノにおいては、この演奏技術が演奏の全てとなります。

想像を誘導する音色
さて、そう考えますと、ピアノは他の楽器より感性を移入し難いのでしょうか?
ベートーヴェンは最後には「ピアノは何と不満足な楽器だ」と吐き捨てたのですが、彼が最も執着した楽器はまたピアノでした。ピアノの音色自体は素朴であるがゆえに、聴き手の感性(想像)を妨げない中立的な音楽を創出できると考えます。主人曰く、ピアノ曲の作曲中に頭に流れる音は、勿論ピアノの音なのですが、同時に別の音(管弦楽の音や自然界の音)でもあると言うのです。とすれば、ピアノの音は作曲者のイメージを単純な音色で置き換えると共に、演奏者と聴衆に元のイメージを想像させる余地を与えると言うのでしょうか? さながら俳句の様に、「言いたい事を直接言わず想像させる」訳です。その意味では、実はピアノ曲は最も高級な曲なのかもしれません。
ベートーヴェンは「私は演奏者の為でなく、楽器の為に作曲する」と言ったそうですが、これは正しいと思います。なぜならば、どうやら旋律は楽器の音色によりある程度決定してしまう、即ち音色が表現できる感情はある程度限定されてしまう様に思えるのです。ピアノは中立的な音色であるがゆえに、どの感情も完全には表現できないが、それゆえどの感情も想像させる事ができるのではないでしょうか。管弦楽曲の編曲は大抵ピアノ曲ですし、ピアノ曲の編曲も大抵は管弦楽曲です。他の楽器同士の編曲例はある事はあるのですが絶対数ではやはり少ないと言えます。ピアノ以外の楽器は音色の個性が強く表現できない感情が多々あるので、もしかしたら編曲に不適当なのかも知れません。
こう考えると、クラシック、ポップスまたはジャズでもない新音楽は、ピアノかもしくは全く新しい楽器によって創出できるとも推測できます。

大切な事は心の行動
ピアノは、誰にでも弾ける機械です。しかし同時に、人の想像力をくすぐれる実に高級な楽器でもあるのです。想像力! それは、お金で何でも物が手に入れられ、何でも具体的に体感できるこのご時勢において得難い、人間の本質的な能力です。管弦楽曲が映画なら、ピアノ曲は挿絵のない小説です。自分の想像力で自分が楽しめるのです。ピアノ曲の裏には、いろいろな音が存在しているのです。こう考えてピアノを弾くと、演奏の上手下手は技術よりむしろ想像力が重要と言えるでしょう。
子供が「宇宙戦艦ヤマト」に凝りだしました。主題歌を覚えたがっています。私が主人の編曲したピアノ版のそれを弾くと、子供はそれを聴きながらピアノの音の向こうの実際の主題歌を想像しているのでしょう。


ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第7頁です。