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ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第4頁です。



音楽に思う事 音階と共に想像を楽しむ
To Ejoying Imagination with Music Scale

知り合いの写真家さんが、ある日写真を見せてくれました。動物園の写真ですが、動物は1コマも写っていません。アングルや対象の選択が上手で、「この先に一体何があるのか」と想像している内に、これがどんな動物園なのか一回行って見たくなりました。私は、その写真家さんの術中にはまった(写真の良さを理解したとも言いますが)のです。
この「想像」は人間に与えられた特権で、想像できるが故に人間は楽しむ事ができるとさえ言えるかも知れません。漫画でも小説でも、この先話しは一体どうなるのだろう、早く次の場面を知りたいが為にその作品にのめり込みます。音楽も実は、これと似た様な事があります。
何でも良いのですが、もうじき春(東京松之山会への初稿は2月でした)なので「春のうららの♪」と歌いましょう。「の」はソです。音階の絶対中心はドですので、ソはまだ中心に戻っていません。続きがあるのです。歌詞が「隅田川」と来て、今度はレで終わります。レとは何とも不安定です。ソはまだ主和音と呼ばれるドミソを構成する音ですので、それなりに安定、つまりけりが付いています。でもレは全くけりが付いておらず、続きが早く欲しい衝動に刈られます。そこで「上り下りの舟人が」と続き、「が」でようやくドに戻ります。ではこれでけりがついたかと言うとそうでもありません。と言うのも、「春のうららの隅田川」と「上り下りの舟人が」は、後半がちょっと異なる似た旋律が繰り返されただけではありませんか。これで本当に終わりなのか、こんなつまらない曲なのか、続きはないのかとじれます。ご心配なく、ちゃんと続きがあります。「貝の滴も花と散る」、おお、旋律が変化しました、ご丁寧に和音に#まで含んでの盛り上がりです。そうか、ここが山場か、作者はこれが言いたかったのか。しかし「る」の音はソ、まだ完結していません。山場の後に、結論=「眺めを何に例うべき」があったのです。この風景は一体どう形容すべきだろう、それ程素晴しい、そう言いたいが為に直前を盛り上げたのです。これは一つの短い小説ではありませんか。
想像、これは人間の快感とジレンマの共存する感覚です。全てが与えられてしまっては、それ以上想像の余地がなく面白くありません。しかしもし不明確な事が残されたとすると、その正体を、その続きを知りたくなります。知りたいと言うジレンマと、不明確であるならいっそそこを自分の好きに考えてしまおうと言う快感の両方が、人間の大脳を駆け巡ります。こんな楽しい事ってあるのでしょうか。
ところで想像すれば楽しい事も、そうとは知らずにやり過ごしてしまう事もあります。「ほら、想像してごらん、楽しいから。」と教えてあげる必要があります。これが音楽の導入部です。小さい曲では、導入部にいきなり主題が現われる事もあります。主題とは、曲が扱う思想あるいは感動です。先程の曲「花」(そうそう、この歌の題名を「隅田川」だと思っている人が案外多いのですが。)も主題を持っています。最初の二小節、即ち「ソーソド、ドレドシラソ」がそれです。ソから折角ドに行ったかと思うと、レに行き過ぎてしまい、慌てて引き返したら今度はソまで戻り過ぎてしまいました。ああ、こんなじれったい事があるでしょうか。このじれったい主題を何とかして最後完結させる、即ちドで按配良く終わらせる事がこの曲の構成です。主題そのものも抑揚に富んだ明るい旋律ですが、それを変化させる事がまた楽しい曲の流れとなるのです。山場とは言わば、変化が最高潮に達した緊迫した箇所なのです。なお、蛙の歌の様に主題がドで既に終わっている場合もありますが、この場合はいかに面白くドで終わらせるかが曲の流れとなります。
さてここで、音楽における想像に対して音階が重要な働きをしている事が推測できます。先程ドが音階の中心であると申し上げましたが、これは近代西洋音階「ドレミファソラシド」においてです。大和旋律は「レミソラドレ」ないし「ミファラシレミ」、琉球旋律は「ドミファソシド」、ついでながら演歌旋律は「ドレミソラド」と、地域や時代に応じた文化は独自の旋律を持っています。旋律が変わると、主題自体もさる事ながら想像の誘導方法も変化し、ひいては曲の特性や雰囲気が変わってしまうでしょう。この内容については改めて詳細に述べさせて頂く事と致しましょう。
音楽はドラマです。心の葛藤です。主題は登場人物です。次の場面は、次の展開は、常に想像しながらはらはらします。時に裏切られ、時に想像が当たり、主題と一緒に曲の流れに乗ります。見方を変えるとゲームとも良く似てます。音楽が音学でない理由がお解り頂けましたでしょうか?


ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第4頁です。