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ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「エッセイ」節第3頁です。



音楽に思う事 音は感性・私の作曲法
Feeling Sound by Sense, My Composition Method

作曲したい人、この指止まれ! あら、私の主人は何をやってるんだか。え、本日は作曲がいかに簡単かをご紹介するんですって?
主人があるアニメ学院を見学した時の話です。石黒昇さんと言うアニメ界屈指の、監督さんの特別講演を聞く事ができました。最後に質問はないかと言うので、主人は「映像と音楽の比重についてどうお考えですか」と尋ねたそうですが、石黒さんは「う〜む、音楽がより重要でしょう。」とおっしゃったそうです。
一方「百聞は一見に然かず」と言う格言があります。皆さん一度はその正しさを実感した事がおありでしょう。これは即ち、実験や体験学習は大切と言われる通り、物事の理解には視覚が聴覚より適切である事を示唆しています。見もしない昔の歴史を聞かされても、ピンときませんよね。だからと言って最近の教育にビデオが頻繁に用いられるのは、別の問題がある様な気もしますが。
今年(東京松之山会への初稿は2000年で、今は2004年です!)は閏年、オリンピックの年です。水泳でも長距離でも、決勝の瞬間はやはり手に汗握るものです。さて、ここで問題です。もしテレビの音声を切ってしまい映像だけ残した場合と、逆に画面を覆ってしまい音声だけ残した場合とで、どちらがより緊迫感があるでしょうか。私は実際にやってみて、音声だけの場合がむしろ画像があるよりも緊迫感が大きいのではないかと思った程、音声効果を大きく感じたのです。逆に、別の問題も可能です。どちらが正確に勝者を予測できるでしょうか。これはフォームや顔色を冷静に観察する事によって為されますので、音声は逆に殆ど役に立たない可能性が大きいのではないでしょうか。
どうやら、視覚は理解に、聴覚は感動に直結している様です。目と耳はどちらも頭にあり、しかも神経の固まりが直接大脳に連結している感覚器官です。その働きにそれ程の差があってはいけない様な気もします。よく右脳と左脳と言う対義語が用いられます。前者は感情や感性を司り、後者は理屈や解析を仕切ると言われています。視覚が左脳と、聴覚が右脳と連結しているかどうかは私には正確な事は言えませんので、これは別の機会までの私の宿題としておきたいと考えます。今回は、聴覚が理屈ではなく感性であるところから始めたいと思います。
私は実は作曲できませんので、作曲できる主人を羨ましく思います。そんな主人も、「どうして作曲できるのですか」とよく聞かれる様です。面白い事に、演奏家に特によく聞かれるんですって! やっぱり、どんな教育を受け、どんな訓練をしたのか不思議なのでしょうね。ところが主人に言わせると、実は、特別な教育も受けていなければ、特別な訓練もしていないとの言。これは音楽が理屈ではなく感性である事が正しいとすれば、成る程あり得るかもです。演奏も音楽ではないかと言われますか? いえいえ、演奏は最後は感性ですが、実は核となるのは技術(反射と理屈)なのです。感性をより的確に伝える為には、思った通り正確に演奏する技術する事が必要です。小説家が文章力を必要としたり、画家が画力を必要とするのと似ています。主人は逆に演奏技術がなく、案外私より感覚的な人間なのかも知れません。主人に言わせると、作曲は感性だけで勝負できるので、音楽大学を卒業していなくてもできるのだそうです。はて、感性なら、人間誰でもお持ちですよね? と言う事はつまり、誰でも作曲(音楽)はできると言う事でしょうか? バッハやベートーヴェン等の昔の作曲家は、演奏もできなければ作品(感性)を公表できませんでしたので必然的に演奏しなければならなかったのです。今ではすっかり分業され、演奏家も作曲家もより深い専門性を追及できる時代になったのです。
絵の勉強では、先ず白黒で画材と構図の勉強をするそうです。カラーを扱う様になると、色彩学の勉強をします。どちらも論理的で、考えて解決できる内容ですね。これらの勉強は不可欠で、勉強不足は作品に直接欠陥を齎します。では音楽はどうでしょう。音楽の勉強には確かに波動、形式、和声、対位法等の論理的な勉強も強いられますが、いざ作曲する時にこれらの事を全面に出して考える事は主人曰くしません。迷った時に助けて貰う程度の知識だと言うのです。いや正確に言うと、これらは理屈としてではなく感性として学習すべき事なのでしょう。良い音楽を聞き、感動し、歌っている内に、これらはちゃんと身に付くのです。それが作曲の勉強なんですね。お風呂場が場所としては最適かも!?
余談です。声の魔力とは恐ろしいものです。声優や歌手は、どうしてあんなに奇麗な魅力的な声を出せるのでしょう。歌声に、あるいはアニメの声に見せられてファンになったり、その声に恋してしまったりしても仕方ない事です。風貌や形状に見せられる事もないではありませんが、声の衝撃力は圧倒的で叶いません。声優が最近ルックスも兼ね備えアイドル歌手的に活躍している様を見ると、悪くはないが、視覚が入った分だけむしろ感動が少なくなった様な気もします。古い話ですが、小池朝雄を見てしまい、刑事コロンボの姿の方が似合うと思ってしまいました。最近子供を叱り付けてばかりでうが、自分の声は大切に手入れをし効果的に使いたいですね。


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