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ここは、「扉頁子供の教育」章の「聴覚について」節です。


子供の教育 聴覚について
About hearing sense

聴覚に関する詳細な記述のあるWebサイトの紹介:
  ・五感を総合的に社会医学的観点から説明 ⇒ The Life Station
  ・音と音楽の物理的解釈とそれを感知する人間聴覚機構の説明 ⇒ 聴覚の世界
  ・心理的作用まで含めた人間感性に重点を置いた説明 ⇒ 人間工学講義手帳
聴覚と聴覚刺激
  目を瞑れば遮断できる視覚とは異なり、聴覚は刺激を遮断できません。寝ていても音は聞こえてくるのです。ここでは聴覚を、意識聴覚と、無意識聴覚に分けたいと思います。いずれも生体には影響を与えるものと思われます。
  また、音は大抵の場合には空気の振動ですので、耳だけではなく、触覚により体全体で音を感じ取っているのです。音の迫力と言う形容は、ここから生まれてくるものです。勿論普通の音は肌で感じる事はまずありませんが、感じない刺激を受けている事は事実です。
聞く事と聞こえる事
  人ごみの中で親子で会話しています。他の人の声や雑音も聞こえているはずですが、お互いの声だけを聞いてそれに反応しています。耳は、刺激の中から自分の必要な音だけを選択します。これは、聴覚に限った事ではありません。勿論、こう言った刺激の選択は、ある程度の精神力が要ると考えられます。選択できない事を、「気が散る」と言います。
  この場合、聞こえている音に対して、人は生理的にどの様な反応をしているのでしょうか?無意識の聴覚は、よく分かっていませんが、一般的知見は次の通りとの事です。
  音は全て、鼓膜の振動を経て、渦巻き管の感受組織により周波数ごとの強度を感受します。その反応として、強度に応じた信号が聴覚神経を進み、脳に到達します。ここから先がよく分からないのですが、意識音は大脳で、無意識音は小脳で処理されると言う話も出ています。あるいは、無意識音も大脳に進むが、結果的に認知の処理をされないだけである、とも言われているのを聞いた事があります。
これらの仮説によると、意識音は精神に作用し、無意識音は精神だけでなく肉体や知能にも影響を与える可能性が高いと言う事になります。聞こえて意識している音に対しては、いろいろな対策も打てます。聞いていないが聞こえている音こそ、人体に与える影響は大きいのかも知れません。
音楽は意識音か無意識音か?
音楽を聞く事は、さて、意識聴覚でしょうか、無意識聴覚でしょうか?
私達プロが演奏したり作曲したりしている時は、感情移入する事はあるのですが、恐らく心のどこかは覚めた意識で全ての音をはっきり聴いているのだと思います。その意味で音楽は意識聴覚です。
しかし聴衆の立場に立って考えますと、沢山の音が時空間狭しと配列された音楽を一つ一つ分析しながら聞く等と言う事は、勉強中の若い音楽家が別ですが、そうそうある事ではないでしょう。また、映画等で流れる音楽を絵と切り離して聴く事も、一般の人にはないと思われます。と言う事は、意識音と無意識音が混在していると言う事になります。
面白い例は、音楽家が音を空想している時のその音は、意識音か無意識音か、と言う事です。実際にない音を空想するのですから、そもそも音ではないのかも知れませんが、音を空想する事で、音を聞いたのと同じ作用が人体に発生していると仮定したいと思います。すると、意識しない空想が成立するかどうかと言う問題に到達しますが‥‥これはあり無いのではないでしょうか? と言う事は、空想音は意識音ですね。
立場の違いと音楽の影響の違い
ここまで考えると、音楽生産者(作曲家や演奏家)と音楽享受者(聴衆)は、音の感受様式が違うと言う事になります。無意識音は制御したにない音であると飛躍しますと、音楽生産者は自分で制御できない音を生み出してはいけないと言う事なのでしょうか!? また、音楽享受者は、無意識の音の影響を受けたり、意識音を大脳の中で転がして遊んだり、いろいろ音楽生産者の予期しない楽しみ方も可能ですね。
立場が異なると、音楽の効能や活用法も異なってくると思われてきました。

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