演奏専門家のゴール |
資本主義社会の根本は、社会貢献です。現代日本では資本主義=金儲け主義と誤解されている観もありますが、物々交換制度を省みると、本質的には報酬は貢献度に対応すべきものです。価値観の多様化によって貢献度が正当に評価されない事も多いですが、いずれにせよ社会貢献の心は大切にしたいものです。 お恥ずかしい話、私も大学院生の頃、演奏家は演奏会を何回するかが勝負だと誤解していました。演奏会開催がゴールと言うのが、従来の常識なんですね。しかし、演奏家にとっての演奏会は、目的ではなく手段なんですね。演奏会を通して、どんな社会貢献が可能かを考えるべきと、やっと最近気付きました。ゴールは、どんな職業でもそうである様に、演奏と言う特技を活かした社会貢献なんです。 |
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音楽に求められるもの |
即ち、どこで、どんな音楽会が求められているか、あるいは必要かを認識する事が、プログラム企画の第一歩だと思います。世間の表向きニーズだけでなく、演奏者側からもこんな音楽提供をしたら実は役立つのではないかと、聴衆の立場に立った熟考(押し付けではありません!)が重要でしょう。 クラシックの直接的な起源は、貴族のBGMだと言えます。さらにそれ以前は、ジャズ等の多くの民俗音楽がそうである様に、政治や宗教とも密接に関わっていました。人を束ねるにせよ、楽しませるにせよ、音楽は人の心に作用します。そう、演奏家は、聴衆の心に何を残すのかを考えなければなりません。自己満足は厳禁です。 ⇒ 癒しの音楽室 |
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音楽家のジレンマ |
ピアノを持ち運べないのが、基本的なジレンマです。もしピアノが演奏会場になかったら、ピアニストはどうすべきか? そこにある鍵盤楽器を使えば良いと思います。本格的演奏会は電子ピアノではできませんが、やり方次第で用が足りる場合はピアノに拘るべきではないと思います。 なお、演奏家全員に共通する、深刻なジレンマもあります。例えば、病院演奏会をしたいが予算が無いので全てボランティアで、と言われると、本当にありがたく感じてるのか、本当に必要と思われているのか疑問です。社会貢献に対して報酬が正当に為されているか、現代日本では甚だ疑わしいですからね。私は、病院対応者の熱心度合いから判断しています。お子様向け音楽会も、お子さんがいくら演奏会に行きたくても、お母さんが経済的観点で止めてしまう事があります。私も主婦なので気持は解りますが、一方でそのお母さん本当に無駄遣いしてないのかしら? お金を取るべき演奏会もあれば、赤字を容認すべき演奏会もあるでしょう。全体として収益があれば良しと、広い心で臨まないといけないなと感じています。 |
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Hospital Concert:病院音楽会 |
病室から自由に出られない入院患者さんは、外の空気と元気エネルギーを欲っしています。かと言って、盛り上がり過ぎると疲れます。せいぜい少人数アンサンブル程度までの音量で、1時間以内が限度です。なるべく広い場所で、途中出入り自由方式にします。 |
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Family Concert:母と子または家族の為の音楽会 |
小さいお子さんが入場できる、クラック音楽会は限られます。入場年齢制限無しで、子供さんにはしつけを教えながら、一方では多少騒いでも大人は温かい目で見守ってあげる、そんなクラシック演奏会があっても良いと思います。休憩時間には、舞台に上がってきて貰います。 ⇒ 子供の為の音楽会 |
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Radio Citizen College:市民大学音楽講座 |
生涯学習やリカレント教育に対応した、市民向け教養プログラムが増えてきました。積極的に依頼には応じていきたいと思っています。レベルの合わせ方が難しいのですが、ニーズに即して都度主催者さんと協議、でしょうか。講座の最後に、まとめとして対面の講義(私の場合演奏会)をする事もあります。 ⇒ 藤沢市民大学ラジオ講座講師 |
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