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ここは、「扉頁音楽に思う事」章の「独り言/幾種類もの楽譜」節です。


音楽に思う事 幾種類もの楽譜
Many Editions for one music

楽譜の訂正
  主人の知人で私の演奏会に来て下さった方‥‥もうかなりご年配の方ですが、ギター教室で次のレッスン曲を渡され、暫くして先生が数箇所訂正されました。その人は、楽譜の訂正が非常に奇異だった様で、主人にこう尋ねました。「昔は、楽譜の印刷が難しかったので、印刷所によって違う楽譜ができてしまったんでしょうか?」
バッハの頃の記譜法
  バッハの頃は楽譜が実は今の様にきちんとしていませんでした。楽譜が無かったと言っても良いと思います。即興演奏が多かったのです。
  バッハは、自分の弾いた曲は弟子に聴かせて記録していましたが、記譜法がしっかりしちなかったり、弟子がきちんと聴けなかったりと、いろいろ問題が発生したと言う事です。これじゃあ、楽譜ごとに違う事が書かれても仕方ありませんね。
モーツァルトやベートーヴェンの頃の記譜法
  モーツァルトの頃になると、さすがに楽譜も今のものに近づいてきました。しかし作曲者と言う者は、清書なんかすぐにはしません。ベートーヴェンは全然しなかったと言われてます‥‥乱雑な原本を読むしかありません。
  書いた本人がいれば分からない箇所を尋ねる事もできましょうが、売られて遠くになってしまったり、あるいは本人が死んでしまったら、正解は永遠の謎になってしまいます。また、本人も何度も書き直しますから、同一箇所に対応する楽譜が幾つも出てきてしまいます。一体どれが最終版なのか分かりません。
楽譜の印刷から普及までの歴史
  当時の印刷技術や製紙技術は、現在と比べるとやはりかなり劣っていた様で、折角の正しい楽譜も磨り減ったり汚れたりと、時間と共に謎が出来てしまう事もよくあります。また、民謡(フォークソング)等の言い継がれる歌は、丁度言語が時間とともに分化していく様に、複数の民族や地方に違った形で伝わる事もあります。
  以上の様なケースでも、正解が分からないままに楽譜は出版されます。では分からない所をどうするか、それは編集者の意思一つです。分からないと正直に幾つかの可能性を挙げる人、自分で正解を選んでしまう人、自分で作曲してしまう人、いろいろです。だから、昔の楽譜程、地方の楽譜程、同じ曲にも関らず幾種類も楽譜ができてしまうのです。
幾つも楽譜があっても良いじゃない!?
  正解が分からない事を嫌う人もいますが、あるいは正解を知る必要がない事だってあり得ます。何でも分かってしまうと、想像の余地がなくて詰まりません。謎がある分、その曲の味わいが深まる事だってあります。
  音楽は、とにかく、作曲者の思いに演奏者の思いを乗せ、それを聞いた鑑賞者は更にそこに自分の解釈を加えるものです。同じ演奏者でも違うコンサートでは違った曲になるでしょうし、同じ曲を違う人が聴いたら違って聞こえて良いのです。
  主人の知人の方は、「もうその楽譜で練習してっしまって、そのせいもあるのか、どうも訂正した楽譜はあっさりし過ぎた和声進行に思えて、表情が複雑に変化する訂正前の方が好きです。今更直したくないなあ。」とぼやいたそうです。それに対して主人はさすがに作曲者、こう言ったそうです。「今表情が複雑に変化する修正前の楽譜がお好きなら、それを弾かれると良いでしょう。だが事によると、10年とか経ってあっさりした楽譜が好きになるかもしれない。その時は訂正楽譜を弾けば良いんです。作曲家だって、全ての音がこれしかない、と思って楽譜に書いている訳ではありません。何回も直します。5年前に違うと思って消し去った旋律を、5年後の再修正で再現してしまっている事だってあります。そんな場所は、正解は幾つもあるんです。曲全体を理解していてくれさえすれば、多少の変更は作曲者は許してくれるはずです。」
  因みに、バッハはヘンレ版が最もバッハ本人の演奏に近いのではないかと言われてます。

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