演奏家vs作曲家 チャイコフスキー
Peter Ilich Tchaikovsky
Peter Ilich Tchaikovsky (1840-1893)
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元々法律の仕事をしていましたが、音楽の夢を捨て切れずにペテルブルグ音楽院に入学しました。そこで彼の師となったのはアントン・ルビンシュタインでした。また卒業後は、弟のニコライ・ルビンシュタインが開設したモスクワ音楽院の教師になりました。この頃から作曲活動は活発となり、1877年にフォン・メック夫人からの支援を受け全盛期を迎えました。 ドイツ的と言っても、濃厚なロシア的色彩を持った曲ばかりです。浪漫派音楽らしい甘美な旋律と色彩的な管弦楽に、スケールの大きさも感じられる事が特徴でしょう。有名な曲は、先に述べたピアノ協奏曲第1番の他、第4〜6番交響曲(6が最終)や、バレエ音楽「胡桃割り人形」と「白鳥の湖」が挙げられます。「白鳥の湖」や第6番交響曲「悲愴」に代表される憂鬱さは、暗いと言うよりはむしろ甘く感傷的で、いかにもチャイコフスキーらしい曲です。またスケールの大きさと言う点では、ピアノ協奏曲第1、2番とト長調ピアノ奏鳴曲(Op.37)が挙げられます。 従来、チャイコフスキーの死因はコレラと言われていましたが、最近「自殺」説が有力紙されている様です。 |
チャイコフスキーは、アントン・ルビンシュタインからピアニストになる事を薦められた程、元々ピアノ演奏が上手でした。しかし内気なチャイコフスキーは、舞台が嫌でピアニストとしては活動しませんでした。 替わりに、ピアノ曲(ト長調奏鳴曲、小曲集、多くの小品)を精力的に創作しました。チャイコフスキーは、ピアノと言う楽器を良く知った作曲家の一人でした。中でもピアノ協奏曲第1番は、現在のピアニストの試金石と言えます。 ただ、ピアノ協奏曲第1番以外のピアノ曲は、現在では余り演奏されません。よく言われているその原因は、演奏していない作曲家であるが故の「鍵盤に密着した現場的感性」の欠如です。即ち、演奏効果や迫力が、バレエ音楽等の強烈な個性と比較すると希薄なのです。演奏家と作曲家とが分化した時点から、これは避けて通れない道ですね。 |
よく、なぜピアノ協奏曲に第1番と記載されるのですが、と尋ねられます。実は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲は3つあります。第2、3番の協奏曲は、それ程演奏されもしなければ、CDにも録音されていないので、皆さんご存知ない様です。豪華絢爛で雄大な傑作である第1番に比べると、第2、3番は物足りない類型的な作品であり、冗長感が避けられません。 他にも、ピアノ独奏曲を幾つか作っていますが、これらも、演奏される機会は現在お目にかかる事が稀です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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